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ヤコフの家で貰ってきた包みを開ける。
さすがにパンまでは自分で焼かないので、焼きたてのパンを貰えるのはありがたい。それに数種類のジャムと、きっちりと箱に詰められた菓子。
行儀が悪いなと自覚しつつ、カミュは一つつまむと、氷河にも箱を差しだした。
氷河も大人しくそれに習う。
口に含むとその顔が、すこし緩むのがわかった。
「ハルヴァか。この菓子はギリシャにもあるんだが、こちらの方が好きなんだ。」
氷河の唇は少し動いたが、何も発しなかった。
菓子をつまんだ指先を洋服に擦り付けるようにすると、そのままカミュの横をすり抜けて部屋を出て行った。
借りている寝室のベッドに氷河は身を投げ出した。
ヤコフはもう、家に着いた頃だろう。
陽の光が弱くなり、部屋はすでに薄暗くなっている。
少し、疲れた。
暖かな場所に身を置くことに。
いい気になってふやけていた気持ちに、カミュの言葉が突き刺さった。
ギリシャ。
あいつのいる場所は、本当はそこだ。
傷を治そうとあいつは言って、いつの間にか自分までそれを自分への言い訳にしていた。
もう島で負った怪我なんて、ほとんど治っている。
ここを出なければ。
ずっと、ここを出たいと思っていた。
それなのに今、どうしたらよいのかわからない。
兄弟たちのことは、もうどうでもいい。
会えば心が乱されるだけだ。
自分さえ黙っていれば、きっと事実はうやむやに消えてゆく。
その気味の悪い塊は、時間をかければなんとか一人で飲み下せるような気がした。
それよりも。
あいつに、何かを切り出されるのが嫌だ。
何かを切り出される前に、自分からここを出てゆく。
頭の中が、ぐるぐるとまわる。
ひとりで生きてゆくためには、誰も信じてはならない。
そのためには憎しみのような何かが必要だ。
憎しみに染まるなとあいつは言った。
だが一体、何がそのかわりになるだろう。
右の拳を強く握ると痛みが走った。
そうだ、こっちが俺のいる場所だ。
夕食の支度をする手を、カミュはふと止めた。
つい先ほどまで晴れやかだった気持ちが、いつの間にか曇っている。それは氷河がこの部屋を出て行ってからのことだ。氷河がこちらの言葉に応えず出てゆくことなんて、珍しいことではない。だが、なにか裏切られたような、さみしさのようなものが残った。
何を期待していたというんだろう。
アイザックのように、なんてそんなことは思っていなかった筈だ。
ただあの子がほんの少し口の端をゆるめたところを、もう少し見ていたかった。
夕食の時間になっても氷河は現れなかった。
少しはルールを教えねばならない。
生活の規律は、心を立ち直らせるためにも必要なことだ。
ノックをしても返事がないので、声を掛けつつドアを開けた。
何もかけずにベッドで眠っているのが見えて、カミュはため息をつく。
「風邪をひくぞ。」
いや、その前に夕食か。こんな時間に眠ると、また夜眠れなくなる。
氷河は毛布の端を掴んで、身体を丸めて眠っている。
「起きなさい」そう言いかけて、やめた。
頬が涙で濡れている。張り付いた柔らかな髪をとりのけて、指でぬぐった。ぬぐってもぬぐってもそれは溢れてきて、金色の髪と布団を濡らした。
大丈夫だなんて、どうして思ったのだろう。
黙って部屋を出て行ったのは、何かを堪えていたからだ。
唇に噛みしめた跡があって、赤く血が滲んでいた。
傍らに腰かけて髪を撫でる。
撫でるたび愛しさがこみ上げてくる。
この子の傷を、癒すのは私だ。
この子の心を満たすのも、この子を笑わせるのも。
私でなければいやだ。
濡れたまつげに口づけを落とすと、氷河はうっすらと目を開けた。
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ヤコフの家で貰ってきた包みを開ける。
さすがにパンまでは自分で焼かないので、焼きたてのパンを貰えるのはありがたい。それに数種類のジャムと、きっちりと箱に詰められた菓子。
行儀が悪いなと自覚しつつ、カミュは一つつまむと、氷河にも箱を差しだした。
氷河も大人しくそれに習う。
口に含むとその顔が、すこし緩むのがわかった。
「ハルヴァか。この菓子はギリシャにもあるんだが、こちらの方が好きなんだ。」
氷河の唇は少し動いたが、何も発しなかった。
菓子をつまんだ指先を洋服に擦り付けるようにすると、そのままカミュの横をすり抜けて部屋を出て行った。
借りている寝室のベッドに氷河は身を投げ出した。
ヤコフはもう、家に着いた頃だろう。
陽の光が弱くなり、部屋はすでに薄暗くなっている。
少し、疲れた。
暖かな場所に身を置くことに。
いい気になってふやけていた気持ちに、カミュの言葉が突き刺さった。
ギリシャ。
あいつのいる場所は、本当はそこだ。
傷を治そうとあいつは言って、いつの間にか自分までそれを自分への言い訳にしていた。
もう島で負った怪我なんて、ほとんど治っている。
ここを出なければ。
ずっと、ここを出たいと思っていた。
それなのに今、どうしたらよいのかわからない。
兄弟たちのことは、もうどうでもいい。
会えば心が乱されるだけだ。
自分さえ黙っていれば、きっと事実はうやむやに消えてゆく。
その気味の悪い塊は、時間をかければなんとか一人で飲み下せるような気がした。
それよりも。
あいつに、何かを切り出されるのが嫌だ。
何かを切り出される前に、自分からここを出てゆく。
頭の中が、ぐるぐるとまわる。
ひとりで生きてゆくためには、誰も信じてはならない。
そのためには憎しみのような何かが必要だ。
憎しみに染まるなとあいつは言った。
だが一体、何がそのかわりになるだろう。
右の拳を強く握ると痛みが走った。
そうだ、こっちが俺のいる場所だ。
夕食の支度をする手を、カミュはふと止めた。
つい先ほどまで晴れやかだった気持ちが、いつの間にか曇っている。それは氷河がこの部屋を出て行ってからのことだ。氷河がこちらの言葉に応えず出てゆくことなんて、珍しいことではない。だが、なにか裏切られたような、さみしさのようなものが残った。
何を期待していたというんだろう。
アイザックのように、なんてそんなことは思っていなかった筈だ。
ただあの子がほんの少し口の端をゆるめたところを、もう少し見ていたかった。
夕食の時間になっても氷河は現れなかった。
少しはルールを教えねばならない。
生活の規律は、心を立ち直らせるためにも必要なことだ。
ノックをしても返事がないので、声を掛けつつドアを開けた。
何もかけずにベッドで眠っているのが見えて、カミュはため息をつく。
「風邪をひくぞ。」
いや、その前に夕食か。こんな時間に眠ると、また夜眠れなくなる。
氷河は毛布の端を掴んで、身体を丸めて眠っている。
「起きなさい」そう言いかけて、やめた。
頬が涙で濡れている。張り付いた柔らかな髪をとりのけて、指でぬぐった。ぬぐってもぬぐってもそれは溢れてきて、金色の髪と布団を濡らした。
大丈夫だなんて、どうして思ったのだろう。
黙って部屋を出て行ったのは、何かを堪えていたからだ。
唇に噛みしめた跡があって、赤く血が滲んでいた。
傍らに腰かけて髪を撫でる。
撫でるたび愛しさがこみ上げてくる。
この子の傷を、癒すのは私だ。
この子の心を満たすのも、この子を笑わせるのも。
私でなければいやだ。
濡れたまつげに口づけを落とすと、氷河はうっすらと目を開けた。
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